伝統的な日本のこけし人形 ×2:職人による手作り - Wood - "南部" 高橋金三 - "津軽" 間宮正男 - Japan - 20th century





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Two traditional Japanese Kokeshi dolls made by artisans in Japan, each around 18 cm tall (one about 18 cm and the other 18.2 cm), wood construction, signed by Kinzō Takahashi and Masao Mamiya, Original/official and in excellent condition from a 20th‑century provenance.
Description from the seller
二つの伝統的こけし人形を日本の職人が制作しました。
こけし 1
本体カラー: 白
高さ: 約18 cm
署名: 高橋金三(花巻金三)Kinzō Takahashi、平成11年(1999年)
こけし 2
本体カラー: ベージュ
高さ: 約18.2 cm
署名: 間宮正男 Masao Mamiya
excellent condition.
出所: 伝統こけし専門店(日本/宮城県)
作者について
●「南部」高橋金三 Kinzō Takahashi (1923-2002)
スタイル: 南部
師: 高橋五郎
[プロフィール] 岩手県花巻市の木工旋盤師の五郎高橋の長男として、大正11年8月10日生まれ。末弟に金四郎という弟がいた。父の五郎は元々和鐘・傘作りの旋盤を専門とする職人で、当時最も高度な技術とされた灘岡式を静岡で学んだ。その後、戦後にこけし作りを始めた。金三は父・五郎から木工旋盤を学び、昭和28年にこけし作りを始めるが、当時は現代的なスタイルだった。昭和33年夏、花巻へ来ていた佐藤真人と出会う機会を得、佐藤の勧めで伝統的なこけしづくりに転じ、徐々に作り始める。佐藤真人は鉛を用いた藤井梅路式のこけしを作っていたが、昭和45年に他界し、梅路式は失われた。この様式の喪失を悔い、住田光の薦めで梅路の家族から許可を得て、昭和47年2月に梅路式の復元を開始。初期の作品は佐藤真人が復元した梅路式に近いものだったが、昭和48年には梅路の昔の作例を基にした修復作を次々と手掛けるようになり、世間の注目を集める。
平成14年10月29日、80歳で逝去。
●「津軽」間宮正男 Masao Mamiya (1921–2008)
スタイル: 津軽
師: 間宮明太郎
[プロフィール] 青森県大鰐町の木工旋盤職人、間宮明太郎の長男として大正10年3月10日生まれ。昭和10年に小学校を卒業後、父・明太郎の下で木工の修行を始めた。 zuguri(木刻玩具)、鍬、杓子、こけしなど木工玩具を作っていた。昭和16年頃から軍需品の需要が高まり、玩具作りは次第に減っていった。戦後、菓子店を開いたが、木工は副業として続けた。昭和22年頃にはこけしをある程度作るようになった。昭和24年には秋田県小阿仁郡大館市へ出て木工の工房で働き、花器など欅材を中心に制作した。昭和26年には再び大鰐へ戻り、父・明太郎とともに木工旋盤を再開し、こけしの制作も請け負った。この時期、正男はほとんどの絵付を担当。明太郎依頼分は明太郎の作風で、本人依頼分は自分の作風で描いたようである。
昭和33年には玩具店も開設。
父・明太郎は昭和40年頃に脳卒中を患い、以降は正男が制作を全面的に引き継いだ。
出荷元として、島津木工作所などで木片を旋削していた。
昭和59年頃には吉行 井上(いがらし よしゆき)さんがこけこ学ぶために弟子入りし、正男はその技法を教えた。
平成20年6月8日、88歳で逝去。
参考画像 / 出典: こけしWiki
二つの伝統的こけし人形を日本の職人が制作しました。
こけし 1
本体カラー: 白
高さ: 約18 cm
署名: 高橋金三(花巻金三)Kinzō Takahashi、平成11年(1999年)
こけし 2
本体カラー: ベージュ
高さ: 約18.2 cm
署名: 間宮正男 Masao Mamiya
excellent condition.
出所: 伝統こけし専門店(日本/宮城県)
作者について
●「南部」高橋金三 Kinzō Takahashi (1923-2002)
スタイル: 南部
師: 高橋五郎
[プロフィール] 岩手県花巻市の木工旋盤師の五郎高橋の長男として、大正11年8月10日生まれ。末弟に金四郎という弟がいた。父の五郎は元々和鐘・傘作りの旋盤を専門とする職人で、当時最も高度な技術とされた灘岡式を静岡で学んだ。その後、戦後にこけし作りを始めた。金三は父・五郎から木工旋盤を学び、昭和28年にこけし作りを始めるが、当時は現代的なスタイルだった。昭和33年夏、花巻へ来ていた佐藤真人と出会う機会を得、佐藤の勧めで伝統的なこけしづくりに転じ、徐々に作り始める。佐藤真人は鉛を用いた藤井梅路式のこけしを作っていたが、昭和45年に他界し、梅路式は失われた。この様式の喪失を悔い、住田光の薦めで梅路の家族から許可を得て、昭和47年2月に梅路式の復元を開始。初期の作品は佐藤真人が復元した梅路式に近いものだったが、昭和48年には梅路の昔の作例を基にした修復作を次々と手掛けるようになり、世間の注目を集める。
平成14年10月29日、80歳で逝去。
●「津軽」間宮正男 Masao Mamiya (1921–2008)
スタイル: 津軽
師: 間宮明太郎
[プロフィール] 青森県大鰐町の木工旋盤職人、間宮明太郎の長男として大正10年3月10日生まれ。昭和10年に小学校を卒業後、父・明太郎の下で木工の修行を始めた。 zuguri(木刻玩具)、鍬、杓子、こけしなど木工玩具を作っていた。昭和16年頃から軍需品の需要が高まり、玩具作りは次第に減っていった。戦後、菓子店を開いたが、木工は副業として続けた。昭和22年頃にはこけしをある程度作るようになった。昭和24年には秋田県小阿仁郡大館市へ出て木工の工房で働き、花器など欅材を中心に制作した。昭和26年には再び大鰐へ戻り、父・明太郎とともに木工旋盤を再開し、こけしの制作も請け負った。この時期、正男はほとんどの絵付を担当。明太郎依頼分は明太郎の作風で、本人依頼分は自分の作風で描いたようである。
昭和33年には玩具店も開設。
父・明太郎は昭和40年頃に脳卒中を患い、以降は正男が制作を全面的に引き継いだ。
出荷元として、島津木工作所などで木片を旋削していた。
昭和59年頃には吉行 井上(いがらし よしゆき)さんがこけこ学ぶために弟子入りし、正男はその技法を教えた。
平成20年6月8日、88歳で逝去。
参考画像 / 出典: こけしWiki

