Robert Mapplethorpe - Altars (ORIGINAL DUSTJACKET, VERY FRESH COPY) - 1995





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大成功を収めた最初の2つのオークションの後、5Uhr30.com(Ecki Heuser、ケルン)は今年の第3回・最後の edition「Masters of Erotic Photobooks」を誇らしくお届けします。
私の私的蔵書と過去数年間のさまざまな購入から採り集めた、エロティシズムをその美しい側面すべてに捧げた、もうひとつ非常に個人的な本のセレクションをお楽しみください。
1995年 (!) の素晴らしい大判本 - American Photographyの伝説 Robert Mapplethorpe(1946-1989)著
オリジナルのダストジャケット付き
優秀で非常に新鮮な状態。
コレクターズ・コピー。
5Uhr30.comは詳細で正確な説明、100%の保護、100%の保険、そして世界規模の同梱発送を保証します。
Schirmer and Mosel, Munich. 1995.
最初のドイツ語版(米国初版と同時期に発行されたものと同一)
ダストジャケット付きハードカバー。300 x 315 mm。140ページ。127図版。写真:Robert Mapplethorpe。編・デザイン:Mark Holborn, Dimitri Levas。印刷:Amilcare Pizzi、ミラノ、イタリア。冊子:Edmund White。英語からドイツ語への翻訳:Jörg Trobitius。本文はドイツ語。
状態:
本体内外ともに優秀、非常に新鮮で欠点なし;前の所有者の印がなく、シミもなし。ダストジャケットは非常に新鮮で完品、破れ・テープ跡・欠損なし;使用跡は非常に軽く、顕著な欠点はなし。総じて非常に良好な状態。
オリジナルのダストジャケット付き、素晴らしく新鮮な状態のRobert Mapplethorpe本。
「Robert Michael Mapplethorpeは彼の黒白写真で最も知られている。彼の作品は有名人のポートレート、男性・女性のヌード、セルフポートレート、静物など多岐にわたる。最も論争を呼んだ作品は、1960年代後半から1970年代初頭のニューヨークのゲイ男性のBDSMサブカルチャーを描写・検証したものだった。1989年の「Robert Mapplethorpe: The Perfect Moment」という展覧会は、公共資金による“猥褻”なアート作品の扱いと米国憲法における言論の自由の限界について議論を巻き起こした。
Mapplethorpeはニューヨーク州クイーンズ区フラワル・パーク出身で、父は電気技師のHarry Irving Mapplethorpe、母はJoan Dorothy (Maxey)である。彼は英語系・アイルランド系・ドイツ系の血を引き、カトリックの下でOur Lady of the Snows教区で育った。1963年にMartin Van Buren High Schoolを卒業。兄弟が3人、姉妹が2人いた。彼の兄Edwardは後に彼の助手として働き、写真家にもなった。BrooklynのPratt Instituteで美術学士(Graphic Arts)を専攻したが、1969年に中退した。
Mapplethorpeは1967年から1972年にかけて恋人 Patti Smithと同居し、彼女は書店での仕事を通じて彼を支えた。彼らは共に芸術を創り合い、生涯を通じて親密な友情を保った。
MapplethorpeのスタジオはマンハッタンNoHoの24 Bond Streetにあり、後に暗室として使用。
Mapplethorpeは60年代後半または70年代初頭にPolaroidカメラを用いて初めて写真を撮った。また自作のジュエリーをデザイン・販売し、それはWarholのスーパースターJoe Dallesandroに着用された。
この時期にはドローイング、コラージュ、発見物からなる彫刻作品も制作した。
1972年、彼は美術キュレーターのSam Wagstaffと出会い、彼を師・恋人・後援者・生涯の伴侶として迎えた。70年代中頃、WagstaffはHasselblad中版カメラを手に入れ、Mapplethorpeは友人・知人を広く撮影するようになり、アーティスト・作曲家・セレブリティなども含まれるようになった。この時期、彼は新 OrleansのアーティストGeorge Dureauと親しくなり、Dureauの初期写真を多く再現するほどDureauの作品に深く影響を受けた。1977年から1980年の間、Mapplethorpeは作家・編集者のJack Fritscherの恋人となり、彼を通じてMineshaft(マンハッタンの会員制BDSMゲイ・レザーバー/セックスクラブ)を紹介された。Mapplethorpeは多くのMineshaftの写真を撮り、同クラブの公式フォトグラファーだったこともある。
1980年代には、像のように高く美しい男性・女性のヌード、繊細な花の静物、芸術家やセレブの非常にフォーマルなポートレートへとテーマを絞っていった。Mapplethorpeの最初のスタジオはマンハッタンの24 Bond Streetだった。80年代にはWagstaffがRobertのために33 West 23rd Streetの最上階ロフトを購入し、彼はそこに居住するほか写真撮影スタジオとしても使用した。Bond Streetのロフトは暗室として使い続けた。1988年、Mapplethorpeは伝記を書くためPatricia Morrisroeを指名し、セレブ・批評家・恋人・Mapplethorpe自身への300件以上のインタビューを基にした内容だった。
1989年3月9日、HIV/AIDSの合併症により42歳で死去。遺体は火葬され、遺灰はニューヨーク市クイーンズのセント・ジョンズ墓地の母の墓所「Maxey」と刻まれた場所に埋葬されている。
死のほぼ1年前にMapplethorpeはRobert Mapplethorpe Foundation, Inc.を設立する手助けをした。そのビジョンは「彼の作品を保護し、創造的ビジョンを前進させ、彼が大切にしていた活動を促進する適切な機関」であることだった。彼の死後、財産として公的に管理されるだけでなく、世界中で彼の作品の普及を助け、HIV・AIDSの医療研究資金として何百万ドルも寄付・寄贈してきた。1991年にはPantheon of Leather Awardsの一部としてLarge Nonprofit Organization of the Year賞を受賞。1993年にはEast 17th Streetのニューヨーク市にあるBeth Israel Medical Centerと提携して、長期的なAIDS治療のための六階建てタウンハウス「Robert Mapplethorpe Residence」の設立に100万ドルを寄付した。2015年には財政難を理由に居住施設を閉鎖。財団は美術写真を機関レベルで推進し、Mapplethorpeの美術品を扱うギャラリーを決定する手助けをしている。2011年にはMapplethorpe財団が1970-1989年のMapplethorpeアーカイブをゲッティ研究所へ寄贈した。
死去のほぼ1年近く前から、MapplethorpeはRobert Mapplethorpe Foundation, Inc.を設立するのを手伝い、そのビジョンは「彼の作品を保護し、創造的ビジョンを前進させ、彼が大切にしていた活動を促進する適切な機関」であることだった。彼の死後、財団は公式な遺産として世界中で彼の作品を普及させるだけでなく、HIV/AIDS研究の資金調達にも多額を寄付してきた。1991年にはPantheon of Leather Awardsの一部としてLarge Nonprofit Organization of the Year賞を受賞。1993年にはEast 17th Streetの六階建ての長期的AIDS治療用レジデンスの設立にBeth Israel Medical Centerと提携して100万ドルを寄付した。施設は財政難を理由に2015年に閉鎖。財団は機関レベルで美術写真を推進し、Mapplethorpeの作品を扱うギャラリーを決定する手助けをしている。2011年、Robert Mapplethorpe Foundationは1970年〜1989年のRobert Mapplethorpe Archiveをゲッティ研究所へ寄贈した。
Mapplethorpeは主にスタジオで活動し、ほぼ全てモノクロで制作していたが、後期作品と最終展「New Colors」だけは例外。彼の作品群は多様な主題を含み、その大半はエロティックなイメージである。彼自身の作品の中には観客を興奮させようとする意図を持つ“ポルノグラフィック”と呼べるものもあったが、それは高い芸術性として見なされ得るとも言える。彼の官能的なアートは、1970年代のニューヨークのBDSMサブカルチャー、黒人男性ヌード、女性ボディビルダーのクラシックヌードなど、幅広い性的主題を探求した。彼が定期的に共演した黒人モデルの一人にDerrick Crossがおり、1983年のSelf-TitledのポーズはFarnese Herculesと比較されてきた。Mapplethorpeは多くの場面で写真を撮るだけでなく、撮影対象と性的関係を交わすことも少なくなかった。
他にも花(特に蘭とカラーリリー)、子ども、彫像、有名人・他の芸術家(アンディ・ウォーホル、ルイーズ・ブルジョア、Deborah Harry、Kathy Acker、Richard Gere、Peter Gabriel、Grace Jones、Amanda Lear、Laurie Anderson、Iggy Pop、Philip Glass、David Hockney、Cindy Sherman、Joan Armatrading、Patti Smith など)が主題として含まれる。SmithはMapplethorpeの同居人として長い間彼の写真の被写体であり、Smithのファーストアルバム『Horses』の表紙写真にも彼女は写っている。
彼の作品は宗教的あるいは古典的なイメージを頻繁に参照しており、例えば1986年のPatti Smithの1975年の肖像はAlbrecht Dürerの1500年自画像を想起させる。1980年から1983年の間にMapplethorpeはボディビルダーのLisa Lyonの写真を150枚以上撮影し、1983年のフォトブック『Lady, Lisa Lyon』はViking Pressから出版され、Bruce Chatwinのテキストが添えられた。
1989年の夏、Mapplethorpeの Traveling Solo Exhibitは、芸術への公的資金提供の問題と検閲・猥褻の問題を全国的な注目へと高めた。ワシントンD.C.のCorcoran Gallery of Artはこのツアーのホスト美術館のひとつになることを承諾していた。Mapplethorpeは死の直前に探求していた最新シリーズを展示することを決め、「Robert Mapplethorpe: The Perfect Moment」という展覧会を開催。X Portfolioからの写真を含み、尿飲みの行為を描く作品や自分の肛門に牛皮縄を挿入した自画像などが含まれていた。また露出した性器を持つ二人の子供の写真もあった。展覧会はICAの Janet Kardon がキュレーションした。ICAはMapplethorpeの展覧会を支援するために国家芸術基金から助成金を受けていたが、Corcoranは政治的問題に巻き込まれたくないとしてICAとの契約を解除、展覧会は大きな論争へと巻き込まれた。これにより一部の保守・宗教団体は公的資金での展示を強く非難した。
1989年6月、ポップアーティストのLowell Blair Nesbittが検閲問題に関与。Nesbittは彼の遺言で美術館へ150万ドルの遺贈を残すと公には約束していたが、美術館が展覧会の開催を拒否すれば遺贈を取り消すと公然と誓っていた。Corcoranは拒否し、Nesbittは寄付金をPhillips Collectionへ寄付。CorcoranがMapplethorpe展を拒んだ後、展覧会の保守的支援者たちはWashington Project for the Artsへ画像を展示して大規模な観客を集めた。1990年にはCincinnatiのContemporary Arts CenterとDennis Barrieが猥褻物陳列の罪で起訴された。男性のサドマゾヒズム姿勢を描いた写真が猥褻として起訴の根拠となったが、陪審は無罪を言い渡した。
ICAによれば、「Corcoranの決定は国家的な賛否を呼ぶ論争を引き起こした。芸術に税金を使うべきか?公共展覧会で何を“猥褻”または“不快”と判断するのか?そして芸術を言論の自由の一形態とみなすなら、猥褻を理由に公的資金を取り消すことは第一修正に違反するのか?」。これらの問題は今なお根強く論じられている。Mapplethorpeは米国の文化戦争の双方にとってカリスマ的存在となった。しかし、この注目の影響でMapplethorpeの写真の多くの価格は倍額、時には三倍にも上昇したとされる。画家の知名度は、Christie’sの死後の家具・陶器・銀器・他の作家の作品のオークションでも8百万ドルを超える売上をもたらしたとされる。)
(Wikipedia)
大成功を収めた最初の2つのオークションの後、5Uhr30.com(Ecki Heuser、ケルン)は今年の第3回・最後の edition「Masters of Erotic Photobooks」を誇らしくお届けします。
私の私的蔵書と過去数年間のさまざまな購入から採り集めた、エロティシズムをその美しい側面すべてに捧げた、もうひとつ非常に個人的な本のセレクションをお楽しみください。
1995年 (!) の素晴らしい大判本 - American Photographyの伝説 Robert Mapplethorpe(1946-1989)著
オリジナルのダストジャケット付き
優秀で非常に新鮮な状態。
コレクターズ・コピー。
5Uhr30.comは詳細で正確な説明、100%の保護、100%の保険、そして世界規模の同梱発送を保証します。
Schirmer and Mosel, Munich. 1995.
最初のドイツ語版(米国初版と同時期に発行されたものと同一)
ダストジャケット付きハードカバー。300 x 315 mm。140ページ。127図版。写真:Robert Mapplethorpe。編・デザイン:Mark Holborn, Dimitri Levas。印刷:Amilcare Pizzi、ミラノ、イタリア。冊子:Edmund White。英語からドイツ語への翻訳:Jörg Trobitius。本文はドイツ語。
状態:
本体内外ともに優秀、非常に新鮮で欠点なし;前の所有者の印がなく、シミもなし。ダストジャケットは非常に新鮮で完品、破れ・テープ跡・欠損なし;使用跡は非常に軽く、顕著な欠点はなし。総じて非常に良好な状態。
オリジナルのダストジャケット付き、素晴らしく新鮮な状態のRobert Mapplethorpe本。
「Robert Michael Mapplethorpeは彼の黒白写真で最も知られている。彼の作品は有名人のポートレート、男性・女性のヌード、セルフポートレート、静物など多岐にわたる。最も論争を呼んだ作品は、1960年代後半から1970年代初頭のニューヨークのゲイ男性のBDSMサブカルチャーを描写・検証したものだった。1989年の「Robert Mapplethorpe: The Perfect Moment」という展覧会は、公共資金による“猥褻”なアート作品の扱いと米国憲法における言論の自由の限界について議論を巻き起こした。
Mapplethorpeはニューヨーク州クイーンズ区フラワル・パーク出身で、父は電気技師のHarry Irving Mapplethorpe、母はJoan Dorothy (Maxey)である。彼は英語系・アイルランド系・ドイツ系の血を引き、カトリックの下でOur Lady of the Snows教区で育った。1963年にMartin Van Buren High Schoolを卒業。兄弟が3人、姉妹が2人いた。彼の兄Edwardは後に彼の助手として働き、写真家にもなった。BrooklynのPratt Instituteで美術学士(Graphic Arts)を専攻したが、1969年に中退した。
Mapplethorpeは1967年から1972年にかけて恋人 Patti Smithと同居し、彼女は書店での仕事を通じて彼を支えた。彼らは共に芸術を創り合い、生涯を通じて親密な友情を保った。
MapplethorpeのスタジオはマンハッタンNoHoの24 Bond Streetにあり、後に暗室として使用。
Mapplethorpeは60年代後半または70年代初頭にPolaroidカメラを用いて初めて写真を撮った。また自作のジュエリーをデザイン・販売し、それはWarholのスーパースターJoe Dallesandroに着用された。
この時期にはドローイング、コラージュ、発見物からなる彫刻作品も制作した。
1972年、彼は美術キュレーターのSam Wagstaffと出会い、彼を師・恋人・後援者・生涯の伴侶として迎えた。70年代中頃、WagstaffはHasselblad中版カメラを手に入れ、Mapplethorpeは友人・知人を広く撮影するようになり、アーティスト・作曲家・セレブリティなども含まれるようになった。この時期、彼は新 OrleansのアーティストGeorge Dureauと親しくなり、Dureauの初期写真を多く再現するほどDureauの作品に深く影響を受けた。1977年から1980年の間、Mapplethorpeは作家・編集者のJack Fritscherの恋人となり、彼を通じてMineshaft(マンハッタンの会員制BDSMゲイ・レザーバー/セックスクラブ)を紹介された。Mapplethorpeは多くのMineshaftの写真を撮り、同クラブの公式フォトグラファーだったこともある。
1980年代には、像のように高く美しい男性・女性のヌード、繊細な花の静物、芸術家やセレブの非常にフォーマルなポートレートへとテーマを絞っていった。Mapplethorpeの最初のスタジオはマンハッタンの24 Bond Streetだった。80年代にはWagstaffがRobertのために33 West 23rd Streetの最上階ロフトを購入し、彼はそこに居住するほか写真撮影スタジオとしても使用した。Bond Streetのロフトは暗室として使い続けた。1988年、Mapplethorpeは伝記を書くためPatricia Morrisroeを指名し、セレブ・批評家・恋人・Mapplethorpe自身への300件以上のインタビューを基にした内容だった。
1989年3月9日、HIV/AIDSの合併症により42歳で死去。遺体は火葬され、遺灰はニューヨーク市クイーンズのセント・ジョンズ墓地の母の墓所「Maxey」と刻まれた場所に埋葬されている。
死のほぼ1年前にMapplethorpeはRobert Mapplethorpe Foundation, Inc.を設立する手助けをした。そのビジョンは「彼の作品を保護し、創造的ビジョンを前進させ、彼が大切にしていた活動を促進する適切な機関」であることだった。彼の死後、財産として公的に管理されるだけでなく、世界中で彼の作品の普及を助け、HIV・AIDSの医療研究資金として何百万ドルも寄付・寄贈してきた。1991年にはPantheon of Leather Awardsの一部としてLarge Nonprofit Organization of the Year賞を受賞。1993年にはEast 17th Streetのニューヨーク市にあるBeth Israel Medical Centerと提携して、長期的なAIDS治療のための六階建てタウンハウス「Robert Mapplethorpe Residence」の設立に100万ドルを寄付した。2015年には財政難を理由に居住施設を閉鎖。財団は美術写真を機関レベルで推進し、Mapplethorpeの美術品を扱うギャラリーを決定する手助けをしている。2011年にはMapplethorpe財団が1970-1989年のMapplethorpeアーカイブをゲッティ研究所へ寄贈した。
死去のほぼ1年近く前から、MapplethorpeはRobert Mapplethorpe Foundation, Inc.を設立するのを手伝い、そのビジョンは「彼の作品を保護し、創造的ビジョンを前進させ、彼が大切にしていた活動を促進する適切な機関」であることだった。彼の死後、財団は公式な遺産として世界中で彼の作品を普及させるだけでなく、HIV/AIDS研究の資金調達にも多額を寄付してきた。1991年にはPantheon of Leather Awardsの一部としてLarge Nonprofit Organization of the Year賞を受賞。1993年にはEast 17th Streetの六階建ての長期的AIDS治療用レジデンスの設立にBeth Israel Medical Centerと提携して100万ドルを寄付した。施設は財政難を理由に2015年に閉鎖。財団は機関レベルで美術写真を推進し、Mapplethorpeの作品を扱うギャラリーを決定する手助けをしている。2011年、Robert Mapplethorpe Foundationは1970年〜1989年のRobert Mapplethorpe Archiveをゲッティ研究所へ寄贈した。
Mapplethorpeは主にスタジオで活動し、ほぼ全てモノクロで制作していたが、後期作品と最終展「New Colors」だけは例外。彼の作品群は多様な主題を含み、その大半はエロティックなイメージである。彼自身の作品の中には観客を興奮させようとする意図を持つ“ポルノグラフィック”と呼べるものもあったが、それは高い芸術性として見なされ得るとも言える。彼の官能的なアートは、1970年代のニューヨークのBDSMサブカルチャー、黒人男性ヌード、女性ボディビルダーのクラシックヌードなど、幅広い性的主題を探求した。彼が定期的に共演した黒人モデルの一人にDerrick Crossがおり、1983年のSelf-TitledのポーズはFarnese Herculesと比較されてきた。Mapplethorpeは多くの場面で写真を撮るだけでなく、撮影対象と性的関係を交わすことも少なくなかった。
他にも花(特に蘭とカラーリリー)、子ども、彫像、有名人・他の芸術家(アンディ・ウォーホル、ルイーズ・ブルジョア、Deborah Harry、Kathy Acker、Richard Gere、Peter Gabriel、Grace Jones、Amanda Lear、Laurie Anderson、Iggy Pop、Philip Glass、David Hockney、Cindy Sherman、Joan Armatrading、Patti Smith など)が主題として含まれる。SmithはMapplethorpeの同居人として長い間彼の写真の被写体であり、Smithのファーストアルバム『Horses』の表紙写真にも彼女は写っている。
彼の作品は宗教的あるいは古典的なイメージを頻繁に参照しており、例えば1986年のPatti Smithの1975年の肖像はAlbrecht Dürerの1500年自画像を想起させる。1980年から1983年の間にMapplethorpeはボディビルダーのLisa Lyonの写真を150枚以上撮影し、1983年のフォトブック『Lady, Lisa Lyon』はViking Pressから出版され、Bruce Chatwinのテキストが添えられた。
1989年の夏、Mapplethorpeの Traveling Solo Exhibitは、芸術への公的資金提供の問題と検閲・猥褻の問題を全国的な注目へと高めた。ワシントンD.C.のCorcoran Gallery of Artはこのツアーのホスト美術館のひとつになることを承諾していた。Mapplethorpeは死の直前に探求していた最新シリーズを展示することを決め、「Robert Mapplethorpe: The Perfect Moment」という展覧会を開催。X Portfolioからの写真を含み、尿飲みの行為を描く作品や自分の肛門に牛皮縄を挿入した自画像などが含まれていた。また露出した性器を持つ二人の子供の写真もあった。展覧会はICAの Janet Kardon がキュレーションした。ICAはMapplethorpeの展覧会を支援するために国家芸術基金から助成金を受けていたが、Corcoranは政治的問題に巻き込まれたくないとしてICAとの契約を解除、展覧会は大きな論争へと巻き込まれた。これにより一部の保守・宗教団体は公的資金での展示を強く非難した。
1989年6月、ポップアーティストのLowell Blair Nesbittが検閲問題に関与。Nesbittは彼の遺言で美術館へ150万ドルの遺贈を残すと公には約束していたが、美術館が展覧会の開催を拒否すれば遺贈を取り消すと公然と誓っていた。Corcoranは拒否し、Nesbittは寄付金をPhillips Collectionへ寄付。CorcoranがMapplethorpe展を拒んだ後、展覧会の保守的支援者たちはWashington Project for the Artsへ画像を展示して大規模な観客を集めた。1990年にはCincinnatiのContemporary Arts CenterとDennis Barrieが猥褻物陳列の罪で起訴された。男性のサドマゾヒズム姿勢を描いた写真が猥褻として起訴の根拠となったが、陪審は無罪を言い渡した。
ICAによれば、「Corcoranの決定は国家的な賛否を呼ぶ論争を引き起こした。芸術に税金を使うべきか?公共展覧会で何を“猥褻”または“不快”と判断するのか?そして芸術を言論の自由の一形態とみなすなら、猥褻を理由に公的資金を取り消すことは第一修正に違反するのか?」。これらの問題は今なお根強く論じられている。Mapplethorpeは米国の文化戦争の双方にとってカリスマ的存在となった。しかし、この注目の影響でMapplethorpeの写真の多くの価格は倍額、時には三倍にも上昇したとされる。画家の知名度は、Christie’sの死後の家具・陶器・銀器・他の作家の作品のオークションでも8百万ドルを超える売上をもたらしたとされる。)
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